大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

広島地方裁判所 昭和57年(ワ)20号 判決 1985年10月03日

原告

杉田明子

右法定代理人親権者父

杉田博美

同母

杉田多惠子

右訴訟代理人

小笠豊

被告

広島市

右代表者広島市病院事業管理者

佐々木甲子郎

右訴訟代理人

秋山光明

新谷昭治

主文

一  原告の請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告に対し、金二五〇〇万円及びこれに対する昭和五六年一月二八日から支払ずみに至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告は、昭和五六年一月二八日生の女児で、訴外杉田博美(以下「博美」という)、同杉田多惠子(以下「多惠子」という)の三女である。被告は、広島市民病院を経営し、医療業務を行つているものである。

2  医療事故の発生とその経緯

(一) 多惠子は、原告を妊娠中昭和五五年一〇月一四日から、月一回位の割合で広島市民病院(以下「被告病院」という)産科外来で診察を受けてきた。

(二) 昭和五六年一月二二日、多惠子が産科外来で診察を受けたところ、胎児の推定体重は三二〇〇グラムと診断された。

(三) 多惠子は、同月二八日、原告を出産した。出生時体重は三六二〇グラムであり、骨盤位(逆子)であつた。

(四) 原告は、分娩に際し、左腕を骨折し、両腕が麻痺していた。

(五) その後、原告は被告病院整形外科で治療を受けたが、骨のつき方が異常で、左腕はほとんど動かないような状態である。

(六) なお、出産当日(昭和五六年一月二八日)の詳しい経過は次のとおりである。

(1) 同日、多惠子の陣痛は午前七時過ぎに始まり、陣痛の間隔は規則正しく順調で、午前一一時二〇分被告病院勤務の担当医師山中恵(以下「山中医師」という)は多惠子の子宮口がほぼ全開大となつたことを確認しアトニンO五単位を点滴に加えた。

(2) さらに、山中医師は、午前一一時二〇分過ぎ、多惠子に「きばつてよい」と指示したため、多惠子はきばつた。

(3) 午前一一時二五分ころ、多惠子は羊水過多で多量に破水したが、破水後、山中医師らは、一気に娩出するのを防止するため臀部を押し込むなどの措置を全くとらなかった。

(4) 午前一一時二九分、山中医師は、多惠子の子宮口全開大となつたのを確認した。

(5) 午前一一時三〇分、一気に排臨撥露し、胎児を臍部腰部まで一気に娩出したが、胎児は両上肢を挙上し、左上肢は腕枕の如き状態で、肩胛部でひつかかつており、その後の娩出が困難となつた。

(6) そこで、山中医師は、後在肩胛娩出術などを施して原告を引つぱつて娩出させたが、右後在肩胛娩出の際原告を過度に上方にひつぱり上げることにより側頸部を過度に側方に伸展させ、原告に上腕神経叢麻痺を生じさせた。

(7) また、山中医師は右娩出にあたり、原告を性急にかつ粗暴に引つぱり出したため左上腕骨を骨折せしめた。<以下、省略>

理由

一請求原因1(当事者)の事実は当事者間に争いがない。

同2(医療事故の発生とその経緯)のうち、(一)ないし(四)の事実、(五)中骨のつき方が異常であるとの点及び左手指の屈曲が現在もできないとの点を除くその余の事実、同(六)中(1)、(4)、(5)、(6)(但し、原告を過度に上方にひつぱり上げたとの点を除く)の事実及び同(六)(3)中多惠子が午前一一時二五分ころ羊水過多で多量に破水したとの事実は、当事者間に争いがない。

二当事者間に争いがない事実、及び<証拠>よれば、以下の事実が認められる。

1  多惠子は、昭和四八年に第一子を出産して後昭和五五年一月三日第二子を出産し、本件分娩が三回目の出産であつた。なお、第二子の分娩は、今回と同じく被告病院産婦人科において山中医師、矢野医師らの関与によつて行なわれ、骨盤位分娩で体重三〇六〇グラムの女児を出産した。

2  多惠子は、今回の妊娠に際し、昭和五五年七月九日被告病院を訪れ同病院産婦人科で診察を受けたのを初めとして、その後同年八月一八日、一〇月一四日、一一月二五日、一二月九日、一二月一五日、昭和五六年一月九日、一月二二日にそれぞれ被告病院産婦人科で診察(外来)を受けた。

3  右受診では格別異常なく経過していたが、妊娠八か月の半ばである一二月九日の診察の際胎児が骨盤位であることが判明し、被告病院医師の指示で多惠子において胸膝位の体位をとる方法を試みたものの、結局、右骨盤位は治らなかつた。その後昭和五六年一月二二日診察を受けた際、超音波断層装置により胎児頭の大横径の幅の測定を行なつたところ九一ミリメートルであり、それに基づき矢野医師は胎児の出生時体重を三二〇〇グラムと推計した。なお、被告病院は、前回の妊娠の際、昭和五四年一二月一四日多惠子の骨産道骨盤入口の径線を測定した結果は一一センチメートルであり、狭骨盤ではなく、正常域であつた。

4  昭和五六年一月二八日、多惠子は午前七時ころから陣痛が始まり、午前九時ころ、七分ごとの規則正しい陣痛を訴え被告病院産婦人科に入院した。その際、子宮口は二横指半ないし三横指開大し、児心音は良好であつた。

5  その後の多惠子の経過、被告病院産婦人科医師らの介助、治療の状況は以下のとおりである。

(一)  午前一〇時〇五分、ラクテックG五〇〇ミリリットル点滴開始

午前一〇時二五分、矢野医師が多惠子を診察する。子宮口四横指開大。胎胞(+)(胎胞が膨らんで娩出する可能性が強くなつてくる)。陣痛三、四分ごと。

午前一〇時五〇分、念のため酸素吸入一分間三リットル開始。児心音良好。

午前一一時、石丸助産婦内診、子宮口四横指半開大。胎胞(++)(胎胞はさらに膨らんできた)。石丸助産婦は多惠子に怒責をかけないよう注意し、ガーゼを当てて胎胞の膨隆を押さえた。二〇パーセントブドウ糖二〇ミリリットル、ブスコバン一Aを産婦に注射する。

午前一一時二〇分、山中医師が多惠子を内診し、同人の子宮口がほぼ全開大であることを確認し、その指示で、五単位アトニンOを点滴に加える。

午前一一時二五分、多惠子は、自然破水し、多量の羊水(約一〇〇〇CC)が飛散し、産婦の前で胎胞を押さえていた石丸助産婦の顔や髪に羊水がかかり、ベッドのシーツの上にも飛び散つた。

午前一一時二九分ころ、山中医師は多惠子を内診し、子宮口全開大を確認した。

午前一一時三〇分ころ、一気に排臨撥露し、胎児は臍部、腰部まで一気に娩出した(胎位は第一単臀位)。

(二)  しかし、その後分娩は進行せず、娩出が困難となつた。山中医師は聴診器により胎児心音の下つてきたのを認め、直ちに骨盤位牽出術であるプラハト法(胎児のおしりを両手でつかみこれを上に持ち上げることにより胎児の自然の回旋を促しながら引き出す方法)により牽出を試みたが、全く娩出が進行しなかつた。そこで、同医師が内診してみたところ、胎児は両上肢を挙上し、とくに左上肢は腕枕を組んだようなかつこうで後頭部にあつて骨盤入口でひつかかつており、娩出が困難となつていることが判明した。胎児はすでに臍部まで娩出しており心拍数も落ちて来たので、そのまま放置しておくと酸素欠乏に陥り生命に対する危険も生じるので、山中医師は、直ちに上肢解離術を行なうこととし、伝統的若しくは古典的上肢解離術(胎児を屈曲させて子宮の腔壁と胎児のすき間から手を入れ、胎児の顔をなでるような形で上つている手を降ろす方法)により両上肢の解離を施行したが、その際、後頭部にあつた左上肢を解離する途中に左上腕骨骨折を生じた。次いで引き続き、同医師は、後在児頭娩出術であるファイト・スメリー法(胎児の躯幹を産科医の左の手にのせ、口の中に手を入れて下に向つて引つぱり、骨盤入口面にそつて自然に胎児を引つぱり出す方法)により午前一一時三四分女児(原告)を娩出した。生下時体重三六二〇グラム、大横径九・五センチメートル、アプガー・スコア一点(一〇点が健康状態で、本件は最低)、仮死第二度(重症な仮死)であり、頸部に二回臍帯(長さ六三センチメートル)巻絡をしていた。午前一一時三七分後産娩出。

(三)  なお、山中医師の前記上肢解離術が終りかけたころからファイト・スメリー法を施行して娩出するまでの間、胎児の側頸部が過度に側方に伸展したことによりその頸部神経が損傷され、胎児(原告)の両上肢に上腕神経叢麻痺を生じた。

6  右同日の娩出直後、すぐ来合わせた被告病院小児科の武内医師により原告に挿管(酸素不足のため気管内にチューブを差入れて人工呼吸を行なう)の処置をとつて、原告の仮死状態は間もなく回復した。

7  同日午後四時ころ、被告病院整形外科堀司郎医師(以下「堀医師」という)は原告を診察し、左上腕骨骨折の治療のため左上肢を躯幹に絆創膏固定した。しかし、同医師は同月三〇日、絆創膏固定では上腕骨が脂肪の中に転位するおそれもあつたので、絆創膏固定からギプス固定に変更した。ところが、二月二日、レントゲン線検査の結果、絆創膏固定のときより大きい転位が見られたので、再び絆創膏固定に変更し、以後二月二三日に至るまで継続した。二月二日、絆創膏固定に変更した以後、骨折の整復状態は良好となり、二月九日、次いで二月一六日にレントゲン線検査によりそれぞれ整復部位の化骨形成良好を確認した。そして、二月二三日、レントゲン線検査により化骨形成良好を確認し、骨折部は骨癒合を生じ骨折はもう動かない状態になつたので、絆創膏固定も除去して、右骨折の治療を終つた。

8  他方、腕神経叢麻痺のうち、右腕神経叢麻痺は、軽い麻痺であつたため、特に治療を施さなかつたが、二月九日自然治癒となつた。

9  そして、左腕神経叢麻痺についての堀医師の治療経過は以下のとおりである。

二月二三日絆創膏固定を除去するまでの間、上肢、ひじ、前腕は固定してありその動きを外から知ることができないので、堀医師は原告の指の動きを観察し続けた。絆創膏固定を除去した以降の堀医師の診察によると、三月二日の時点で、拇指、示指、小指、手関節の伸展、手関節より末梢の屈曲は可能であるが、肘、肩の自動運動がないという状態であつた。この時点で、同医師は、その原因として、左上腕骨骨折のため出生直後より四週間弱もの間固定したため左上肢の機能不全をおこしたものか、それとも左にも分娩麻痺による腕神経叢麻痺の上位型を合併しているものか、いずれかではないかと考え、経過観察することとし、一応、肩外転九〇度、肘屈曲九〇度で上肢保持をした。ところが、その後症状の改善が全く見られなかつたので、その原因は固定のためではなく、分娩麻痺のための機能不全によるものと考えるに至つた。原告は三月一〇日被告病院を退院し、堀医師は、以後も外来診療で経過観察を続けたが、麻痺の改善があまり認められないため、これからの治療方針を聞くため、同年六月一六日広島大学医学部整形外科津下教授に紹介し診察を依頼したところ、同教授からは同月二〇日診察の結果このままで経過をみる以外に方法がないとの回答を受けた。同年一〇月六日、被告病院整形外科における外来診療は打切られ、以後は広島大学病院で経過観察することとなつた。右一〇月六日当時の原告の状況は、肩関節約八〇度外転可能、同前挙九〇度可能、肘関節自動運動不可能、手関節手指の屈曲は良好で力強く、伸展もわりと可能である、中、環指の伸展が弱いというものであつた。

三そこで、右各認定等の事実に照らし、被告の債務不履行(請求原因3(一))若しくは不法行為(同3(二))責任の有無について、以下原告の主張に従つて検討してみる。

1  診療契約の締結(請求原因3(一)(1))の事実は、<証拠>によりこれを認めることができ<る>。

2  出産に先立ちなすべき検査を十分に行なわなかつた(同(2)ア①)とする点について

(一)  前認定のとおり、被告病院産婦人科医師は、昭和五六年一月二二日、超音波断層装置により胎児頭の大横径の幅の測定を行なつたところ九一ミリメートルであり、それに基づき矢野医師は胎児の出生時体重を三二〇〇グラムと推計したこと、被告病院は前回の分娩の際昭和五四年一二月一四日多惠子の骨産道骨盤入口の径線を測定した結果は一一センチメートルであり、狭骨盤ではなく正常であつたこと、原告の実際の生下時体重は三六二〇グラム、大横径は九・五センチメートルであつたことが認められる。

(二)  そして、<証拠>によると、超音波断層装置による胎児の大横径の幅の測定はそれ自体非常に微妙なもので一ないし二ミリメートルの違いは簡単に出るものであるうえ、大横径の幅が胎児の体重に必ずしも比例しないことなどから、右大横径の幅から推定する胎児の出生時の体重についても、本件の四二〇グラム位の誤差は通常の範囲内のものとしてやむを得ないものであることが認められ、そしてさらに、前記各認定事実のほか、鑑定人神崎秀陽の鑑定の結果によると、原告の生下時の体重は、標準体重よりやや大きめといつた程度で、巨大児(四〇〇〇グラム以上)というわけではなく、右四二〇グラム程度の誤差が分娩時の介助のあり方等に影響を与えるようなものであつたともみられないことがうかがわれる。

(三)  以上の事実からしてみると、多惠子の出産にあたり、被告病院の担当医師は分娩に先立ち、妊婦の骨盤の大きさ、胎児の頭の大きさを検査し、胎児の出生時の体重を推計して、胎児が産道を無事通過する状況にあることを十分確かめ、また分娩時の対応に格別の誤りを生じさせない程度の処置をとつていることが認められ、これらの点について被告病院に何ら診療上の懈怠はなく、原告の右主張は理由がない。

3  アトニンOを使用した(同(2)ア②)点について

(一)  <証拠>、鑑定人神崎秀陽の鑑定の結果によると、アトニンOは、子宮の収縮を誘発増加させて陣痛を促進し、微弱陣痛を予防し、また産後の出血を押さえる効果を有するものであるところ、骨盤位分娩においては子宮口全開後微弱陣痛になる頻度が非常に高いことから、もし微弱陣痛になつた場合は分娩が遷延することとなり胎児に重大な危険を生ずることともなるため、予めアトニンOを使用して微弱陣痛を予防する必要があるものとされ、とくに骨盤位分娩の最終段階において有利な陣痛があるということは右分娩を安全に行なううえで不可欠であり、そのためには、過強陣痛等の特段の事情がない限り、むしろ相当な時期にアトニンOを使用すべきものとされていること、アトニンOを点滴静注する場合は、筋肉注射あるいは静脈注射の場合と異なり、急激な陣痛を引き起こすということはないが、血中にアトニンOが入つてから二、三分後位にかなりの効果があるとされているところ、右点滴静注によるアトニンOの使用時期については、産道が成熟し有効な陣痛が来れば娩出できるであろうと予測される段階、つまり、通常、子宮が全開、少なくともほぼ全開大となつた後であるとされていることが認められ<る>。

(二)  そして、本件の場合、前認定のとおり、骨盤位分娩であるところ、分娩同日午前一一時二〇分ころ、山中医師が多惠子を内診して多惠子の子宮口がほぼ全開大であることを確認し、それからアトニンO五単位を点滴に加えて使用したというものであり、当時胎児心音の異常等格別危険な状況もなかつたものであつて、山中医師のアトニンO五単位の使用は相当なものであつたと認められる。

(三)  なお、<証拠>によると、産婦人科の専門図書(昭和四三年「産婦人科の実際」、昭和四八年「図解産科手術学」)中の産婦人科医師竹岡秀策の横8字骨盤位解出術の解説記事の中には、アトニンOの使用の意義は、解出操作の時期と陣痛発作の上昇期とを一致させるためのもので、臍部娩出の前で解出操作を始められると思われる三〜五分前にアトニンOの五〜一〇単位を筋注する、また、押し込み法を行ないアトニンOの五〜一〇単位を皮下に注射するといつた意見が述べられていることがうかがわれるが、右アトニンOを筋肉注射する場合のことであり、点滴静注(<証拠>によると、日本薬局方のアトニンOの用法は、「原則として点滴静注法による」ものとされている)した本件と異なり、本件については、鑑定人神崎秀陽の鑑定の結果によれば、山中医師のアトニンOの使用時期は、カルテの記載によれば産道の成熟はすでに十分であり、適切だつたとされているのであり、右文献の記事も前記認定を左右するものではない。

(四)  なおまた、原告は、多惠子のアトニンOに対する感受性は通常人より強いのに、山中医師は漫然とアトニンOを使用したので過強陣痛をおこさせ、臍部、腰部まで一気に娩出させて上肢挙上を生じさせた旨主張しているので、この点について考えてみる。

<証拠>によれば、たしかに、日本薬局方におけるアトニンOの使用上の注意として、既往にアトニンOに対して過敏症を起こした患者には投与しないこと、とされていること、昭和五五年一月三日多惠子が第二子を被告病院において出産した際、同日午後二時四五分ラクテックG残量一五〇ミリリットルの中へアトニンO五単位を混入したところ、同二時四八分に女児を娩出と同時に後産も娩出していること、多惠子はその本人尋問の結果で、本件分娩に際しアトニンOの点滴を受けるとすぐ我慢できない痛さで陣痛がどつときた旨述べていることなどがうかがわれる。

しかし<証拠>によれば、第二子分娩の際、多惠子は昭和五五年一月三日午前〇時五〇分ころ被告病院産婦人科に入院し、午前三時ころ弱い陣痛が始まり、午前七時ころ子宮口二横指開大、午前八時五〇分ころ子宮口三横指開大、午前一〇時三五分ころ子宮口三横指半開大、陣痛三分毎、午前一一時四五分ころ子宮口四横指開大、陣痛三分毎、午後二時三〇分ころ子宮口全開という経過をたどつた後、さらに子宮口全開後一五分ほど経過した午後二時四五分ころラクテックG残量一五〇ミリリットルの中へアトニンO五単位を混入(この場合、鑑定人神崎秀陽の鑑定の結果によると、アトニンOの濃度がかなり高く、効果も強いことが予測される、とされる)したところ、その三分後である午後二時四八分ころ女児娩出に至つたというものである事実が認められ、これらの経過からすると、多惠子のアトニンOに対する感受性が特に強かつたことを示すものとはにわかに認めがたいうえ、さらに前記認定事実からすると、本件分娩に際し、山中医師がアトニンO五単位を多惠子に投与した時期は多惠子の子宮口がほぼ全開大となつた時期(午前一一時二〇分)であり、当時既に三、四分毎の陣痛があり、その後五分経過した午前一一時二五分ころ自然破水して多量の羊水が飛散し、その後さらに五分を経過した午前一一時三〇分になつて一気に娩出に至つたというものであつて、これらの経過からして、鑑定人神崎秀陽の鑑定の結果に照らすと、右アトニンOの投与は点滴静注という筋肉注射等に比すれば温和な方法であり、また、当時既に相当な陣痛があり、右破水という事実の影響も大きいことなどから、右一気に娩出したことは、アトニンOの投与とは関係なく、また、右経過が多惠子のアトニンOに対する感受性の強さを示すものとも認めがたい。

(五) 以上のとおりで、山中医師のアトニンOの使用につき、その使用の時期、方法等はいずれも相当なものと認められ右使用につき原告主張のごとき債務不履行または過失は認められず、原告の右主張は理由がない。

4  怒責を許した(同(2)ア③)とする点について

(一)<証拠>と鑑定人神崎秀陽の鑑定の結果によれば、産婦がいきむことにつき、一般には、骨盤位分娩の場合、子宮口が全開するまではよくないとされ、また、子宮口全開後も、できれば胎児のゆつくりした下降を促すべきで、いきむのは原則として最後の数回のいきみまで我慢させるのが妥当である、とされていること、ただ、産婦にいきまないようにと言つても最後の段階になると本人に制御不可能であるとされていることが認められ<る>。

(二)  ところで、原告は、本件分娩において、山中医師が午前一一時二〇分(子宮口ほぼ全開)すぎに多惠子に「きばつてよい」と指示し、いきませたために強い陣痛と腹圧がきて一気に娩出する原因の一つとなつた旨主張し、原告法定代理人の供述も、<証拠>に照らすとにわかに信用できない。のみならず、むしろ、右各証拠によると、山中医師は右のような指示はしてなく、石丸助産婦において子宮口全開前から多惠子に対し怒責をかけないよう注意し、山中医師、矢野医師らも、その時期は明確でないが、多惠子に対しいきまないよう言つていることが認められる。

(三)  そうすると、原告の右主張につき、同主張のごとき事実は認められない、のみならず、同主張の関係で、被告病院医師らに格別の診療上の過誤も肯認しがたく、右主張も理由がない。

5  横8字式娩出法及び押し込み法をとらなかつた(同(2)ア④)とする点について

(一)  まず、<証拠>と鑑定人神崎秀陽の鑑定の結果によれば、次の事実が認められ<る>。

(1) 骨盤位分娩においては上肢挙上を生じやすく(その頻度は骨盤位分娩中一割以下程度)、上肢挙上を生じると、その後の娩出介助術施行の過程で、上腕骨骨折(全分娩中その頻度は〇・〇一%以下)、上腕神経叢麻痺(全分娩中その頻度は〇・一三%)を生ずることがある。そして、右上肢挙上は、骨盤位分娩において、排臨撥露から臍部腰部まで一気に娩出した場合に多いとされ、急激に娩出した場合は、その半数近くが上肢挙上を生ずるともされている。もつとも、骨盤位分娩の場合は、一気に娩出しない場合でも、上肢挙上を生ずることが少なくなく、骨盤位の経膣分娩の場合、実際上、上肢挙上の生ずるのを完全には防止しがたいものとされ、産科医は、骨盤位分娩の場合は、常に上肢挙上の生ずる可能性も念頭において対処すべきものとされている。

なお、帝王切開との関係で、骨盤位分娩の場合でも、本件のごとく経産婦で単臀位の場合は、通常まず一〇〇%経膣分娩によるものとされている。

(2) そこで、骨盤位分娩の場合、子宮口全開後一気に娩出することはできるだけ避けるのがよいとされ、そのためには、産科医が手を用いて排臨時に下降して来た胎児の臀部を押さえ、陣痛間歇時に数回押し込むようにして、陣痛の上昇期(適正な娩出時期)を待つとともに胎児のゆるやかな娩出を促すようにする方法(「押し込み法」または「押し返し法」という)をとるのが有効であるとされている(なお、右方法は、一般には、娩出期、とくに排臨時以後の実施を予定したものとみられるが、排臨時を正確に予測することはできないので、右押し込み法を適切に実施するためには、介助者は、子宮口全開後もしくは破水後は右排臨時前でも、産婦の外陰部を押えておくか、あるいは少なくとも、産婦の前にいつでも着手できるように待機しておくことが必要であるということになる)。骨盤位分娩の場合、一挙に娩出するのを防止する方法としては、右押し込み法の外、コルポイリンテル(ゴム風船のようなもの)を挿入するという方法もあるが、一部の間にしか用いられてなく、また、右押し込み法も、分娩の実際上、産科医の間で、これを用いている医者が多いが(もつとも、その実施の時期、方法、程度は必らずしも一様でなく厳格な形での実施が一般的とまではみられない)、我国の現在の産科診療にあたつては、産科医の中に色々な考え方があり、骨盤位分娩であつても自然分娩の一環としてみたらいいという考えから、特に右のような処置を加えない方が安全であるとする医者もいる。

(3) ところで、横8字式娩出法(または、横8字骨盤位解出術、横8字牽引法などという)は、賛育会病院産婦人科部長竹岡秀策医師によつて既に昭和三〇年代ころから考案された骨盤位分娩介助法の一つであるが、従来から一般に用いられているプラハト法、古典的上肢解離術、ファイト・スメリー法などに代わるものとして提唱されたものである。現在我国の産科医の間で右利用者も少なくないが、他の方法に比し特に優れた方法として一般に用いられているという状況ではない。

右横8字式娩出法とは、前記押し込み法に続いて、これと一体的になされるもので、胎児の先進部(臀部)が現われた段階で介助者はこれを両手で握り、数字の8を横にした形に回旋させながら自然の動きに従つて牽引して娩出する方法である。

右横8字式娩出法は、上肢挙上を防止するのに有効な方法とされており、たしかに右方法を用いることによつて上肢挙上が減つたとする統計資料もあるが、他方、前記押し込み法、横8字式娩出法によつても上肢挙上を起こすことがあり、上肢挙上を完全には防げないとされる(右押し込み法によつて上肢挙上を防ぐには、押し込むタイミングが重要であり、これを間違うと上肢挙上を生ずることがあり、このタイミングよくやるということは、いくら熟練した経験豊富な産科医でも、一〇〇%それができるというのは非常に難しいのではないか、とされている)。

また、横8字式娩出法も、上肢挙上となつた後あるいは一気に娩出した後は、通常用いられないとされている。

(4) 骨盤位分娩の介助法には、いくつかの方法があり、我国の産科医の実際においては、いずれの方法がよるべき最も優れた方法だとはされていない状況であり、プラハト法、古典的上肢解離術、ファイト・スメリー法も一般に広く用いられている方法であり、横8字式娩出法によつている場合でも、急速遂娩を要するときは急きよ古典的上肢解離術を実施することもあり、常に一つの術式だけに固執すべきでなく、期に臨んで変化に応ずることが肝要であるともされている。そして本件の場合、鑑定人神崎秀陽の鑑定意見によると、山中医師のプラハト法、古典的上肢解離術、ファイト・スメリー法の選択は相当なものであつたとされる。

(二)  そして、本件についてみるに、さらに<証拠>によれば以下の事実が認められ<る>。

(1) 昭和五六年一月二八日午前一〇時二五分ころから、多惠子の胎胞は膨隆しはじめたので石丸助産婦らは多惠子に怒責をかけないように注意し、石丸において多惠子が破水しないように同人の胎胞にガーゼを当てて押えていた。

(2) 午前一一時二〇分ころ子宮口ほぼ全開し、同二五分ころ、多惠子は自然破水し羊水多量(約一〇〇〇CC)が飛散したが、羊水の量が多かつたため胎児に対して下方に向つて強い吸引力が生じた(羊水過多の場合は一気に娩出する危険が多いとされる)。

(3) 羊水多量が飛散して石丸の顔などに羊水がかかつたので、その後、石丸に代わつて山中医師が多惠子の前に位置してその胎胞を押さえた。

(4) 一般に、経産婦は初産婦より陣痛、腹圧が強く娩出しやすいのが通常であるところ、山中医師らは、多惠子にいきまないよう言つていたが、午前一一時二九分子宮口全開して後同三〇分ころ、多惠子は強い陣痛、腹圧を受け怒責を抑制することができなくなつていきんだため、一気に、排臨撥露して臀部、腰部まで娩出した。

(5) 右娩出前、山中医師は、陣痛発作時に一気に娩出する可能性のあることも考え、これを防ぐため多惠子の前付近に立つて、常時ではないが、陣痛がくるとその間多惠子の外陰部を手で押さえるということをしていたが、陣痛の間歇時に多惠子の外陰部を押さえていなかつた間、午前一一時三〇分ころ、急な腹圧と陣痛発作により、山中医師が押さえるいとまもなく一気に娩出するに至つたものとみられる。

(6) 一般に、医師ら分娩介助者が一気に娩出するのを防止するために産婦の外陰部もしくは排臨後胎児の臀部を手で押さえていても、産婦の陣痛、腹圧また怒責が強いときには一気に娩出するのを防止しえないこともあるとされる。

(三) そこで、右及び前記各認定事実に基づいて、原告の主張事実につき考えてみるに、たしかに、産婦多惠子は出産三回目の経産婦であり、かつ羊水多量であつたわけで、一気に娩出する可能性が高く、これを防止するためには、少なくとも、破水後は、山中医師ら介助者において、産婦の外陰部を間断なく手で押さえておくか、あるいは、産婦の前にいて、いつでも押さえられる態勢で十分注意しておくなどの配慮が望ましく、本件では、単に陣痛時に押さえていたというにとどまるものであり、右配慮が十分でなかつたとみられる点、被告病院山中医師らの診療上の措置に非難の余地がないとはいえない。

しかし、まず、右の点についてみるに、右いわゆる押し込み法も、多くの産科医に用いられてはいるが、人為的干渉をできるだけ避け自然分娩の方が安全であるとする考えなどから右方法を用いない産科医もあり、また、押し込み法を用いる産科医も、十分厳格な形での実施が一般的とまではみられない状況であり、一気に娩出することも、それ自体に問題があるわけではなく、それに伴い、またその後の経過で生ずる可能性のある上肢挙上、分娩麻痺などに問題があるわけで、分娩の実際では、これらに対応する相応の娩出術、上肢解離術なども用意されているのであり、これらの関係も含め全体的にみた場合、産科医の分娩介助の実際としては、通常の水準に照らし、本件の場合、山中医師らの押し込み法の実施がなお十分でなかつたとする点も、いまだ診療上の過誤とまではいいがたいものといわざるをえない。

なお、本件の場合、仮に山中医師らの押し込みが十分であつたとしても、産婦の陣痛、腹圧また怒責が強いときには一気に娩出することを防止しえないこともあるのであつて、本件においては、多惠子は強い陣痛、腹圧を受け、怒責を抑制することができなくなつていきんだことからすると、結果は同じであつたとみられなくもない。

そして次に、被告病院医師が横8字式娩出法をとらなかつたとする点であるが、前認定のとおり、分娩介助の方法にはいくつかの方法があるのであつて、横8字式娩出法が他の方法に比し特に優れた方法として一般に用いられているという状況でもないわけで、むしろ、山中医師のとつたプラハト法、古典的上肢解離術、ファイト・スメリー法は我国において古くから一般に用いられている分娩介助法であり、他の専門医(鑑定人神崎秀陽)からしても、本件の場合、右選択は相当なものであつたとされているのであり、なかんずく、横8字式娩出法も、上肢挙上となつた後あるいは一気に娩出した後には通常用いないともされているのであつて、いずれにしても、被告病院山中医師が、本件につき、横8字式娩出法を用いないで、右プラハト法などを用いたことにつき、診療上の債務不履行または過失があつたとはいえない。

以上で、原告の右主張も理由がない。

6  分娩に際し胎児を性急にかつ粗暴に引つぱり出した(同(2)ア⑤)とする点について

(一)  前認定のとおり、上腕神経叢麻痺は、山中医師の上肢解離術が終りかけたころからファイト・スメリー法を施行して娩出するまでの間に、胎児の側頸部が過度に側方に伸展したことによりその頸部神経が損傷されて生じたものと認められる。そして、右生じた原因について、鑑定人神崎秀陽の鑑定の結果によると、上肢解離術の終りかけたころ、胎児の両手を解離して胎児を下に下げ、それからファイト・スメリーに入り、胎児を下に向つて牽引する、この一連の過程のどこかで牽引を急激に行なうことにより生じたものとされる。

原告は、山中医師が後在肩胛娩出(プラハト法の実施)の際に新生児を過度に上方に引つぱり上げることにより側頸部を伸展させ上腕神経叢麻痺を生じさせた旨主張しているが、右生じた原因は前認定のとおりで、主張のような事実は認められない。

なお、右上腕骨骨折は、前認定のとおり、山中医師が上肢解離術の施行中に生じたものであることが認められる。

(二)  そこで、山中医師の上肢解離術の施行及び同施行後の経過等について、さらに検討してみる。

<証拠>と鑑定人神崎秀陽の鑑定の結果によれば、以下の事実が認められ<る>。

(1) 骨盤位分娩においては、上肢挙上を生じやすく、これに伴う分娩介助術施行の過程で上腕骨骨折、上腕神経叢麻痺などの生ずる危険は完全には防止しがたく、胎児を何らの損傷もなく絶対安全に娩出される方法は帝王切開しかないとされている。

(2) 本件においては、臍部、腰部まで一気に娩出し、臍帯まで出ている状態であり、このような場合には、骨盤入口に残された児頭と臍帯との圧迫により臍帯の血流が遮断されて、そのまま放置すると、酸素欠之により胎児の死亡もしくは死亡に至らないまでも脳性麻痺といつた重大な結果を生ずる危険があり、このような結果を避けるため、産科医ら介助者としては、その後は、できるだけ急速な娩出(牽引)の遂行を要するものとされる。

(3) 本件の場合、胎児の左上肢は腕枕を組んだようなかつこうで後頭部にあつたものであり、このような場合の上肢解離は、後ろから前に向つてはずすわけで、普通のバンザイ型の上肢挙上の場合よりも解離が非常に困難であるとされる。

(三)  原告は、山中医師が上肢解離術の施行中に暴力的操作を行なつたために左上腕骨骨折を生じた旨主張しているが、そのような事実を認めるに足りる証拠はない。

(四) 以上各認定説示したところから考えてみるに、本件の場合、一気に排臨撥露して臍部、腰部まで一気に娩出し、臍帯も出ている状況であり、山中医師は、直ちにプラハト法による娩出を試みたが全く進行せず、内診により腕枕状の上肢挙上を知り、胎児の心拍数も落ちて来ている状況の下で、直ちに上肢解離術を施行し、次いでファイト・スメリー法による牽引を実施して本件娩出に至つたものであり、娩出時既に重症の仮死状態にあつたものであり、これらの経過、諸事情等からみた場合、山中医師は、胎児に生ずる重大な危険を避けるため、できるだけ急速な上肢解離及び牽引を行なわざるをえない状況にあつたものであり、たしかに、山中医師の右上肢解離術及びファイト・スメリー法の手技の巧拙も無関係であつたとはいえないものの、この点も、鑑定人神崎秀陽の鑑定の結果に照らすと、産科医の実状としてなお許容される範囲内のものと認められ、結局、山中医師の右一連の介助術施行の過程で生じた胎児の左上腕骨骨折、上腕神経叢麻痺といつた事態の発生も、やむをえないものであつたといわざるをえず、山中医師が産科医としての診療上の注意義務を怠つたとまでは認めがたい。

以上で、原告の右主張も理由がない。

7  被告病院整形外科医師の過失(同(2)イ)について

被告病院整形外科堀医師の原告の治療経過は、前記二で認定したとおりであるが、たしかに、堀医師は、原告の左上腕骨骨折に対し、当初の絆創膏固定をギプス固定に変え、その後再び絆創膏固定にしている経過があるが、しかし、右ギプス固定の仕方が誤つていたと認めるに足りる証拠もないのみならず、左上腕骨骨折も、右により昭和五六年二月三日治癒しているのであり、また、本件の左上肢機能不全の症状及び後遺症も、上腕神経叢麻痺に起因するものであつて、左上腕骨骨折及びその治療とは関係のないものであることが明らかであるから、いずれにしても、原告の、堀医師のギプス固定の仕方を問題にする右主張も理由がない。

8  そうすると、被告病院の診療行為についての原告の債務不履行及び不法行為の主張は、さらにその余の点について判断するまでもなくいずれも理由がないこととなる。<以下、省略>

(裁判長裁判官渡辺伸平 裁判官窪木 稔 裁判官吉岡浩は転補のため署名押印できない。裁判長裁判官渡辺伸平)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例